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「隠れ谷」
その後、帰京してから朋輩にも同窓にも話した。  調べもした。 榛原町史には詳細な記載があったから、改めて史料の 価値を思ったりした。 聞いてもらえる事は功労者への何よりの報いだ。 私はふくいくとしてしゃべり続けた。
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後記として書くと、もちろんこの話はすぐに否定された。 延喜式の中にも荷坂は味坂(みのさか)として登場している。 年代の相違も甚だしい。 こうして私の仮説はすぐに吹き消されたが、それはそれでかまわない。  この稿では歴史のロマンという物について語りたかった。 十分に果たしたと思う。