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「隠れ谷」
天正九年の織田信長の伊賀攻めでは、 例に漏れず沢氏や近隣の秋山・芳野 など豪族国人らにも動員令が出た。  彼らは伊勢街道を西進するために、東の近江・伊勢口から攻め入る 織田の本軍に対し、いわば退路遮断の役も担わされていたのだろう。 この時の信長の下知のすさまじさは、日本史に比類が見当たらない。   「伊賀の者、女子供とて、いちにんたりとも生かすな」  信長の伊賀責めは全国的な話で、今さら私がかしこまって多くを 喋る事もないが、要は横殺令そのもので、見方によっては虐殺令 とも言えた。気の毒なことに、沢氏にとっては信長の執拗な虐殺は 本意ではなかったに違いない。ひょっとすると沢は、攻め入るには 攻め入ったが、押し包むようにして突撃しつつ、敵を後ろに逃がし、 また恩ある伊賀衆某かを自分達の土地に案内したのではあるまいか。
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