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歴史の異様さ
水が抜けきってミイラのようになったものが、歴史だと 思っている人が多い。 見る気もおきないか、または、見ても何の興趣も湧かない位が 関の山で、ひどい時には気色が悪い。それに、ミイラは 生きる上で全く必要ないし、ましてや、お目にかかる機会だって そうあったものじゃない。
打って変わって、歴史とは生身の人間であるとすると、そうはいくまい。 会えば、相応に情やら何やらが湧く。 ヒト社会にいるのだから、生きる上で人は必要だし、毎日嫌という程 お目にかかる機会がある。 まして恋などしてしまったら、矢も盾もたまるまい。
修辞的な言い方をしたが、要は、 歴史がナマの男性のように他人を 脅したり、ナマの女性のように他人を 惹き付けたりする事を説明しようとしている。